ネストコーポレーション代表

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岡山にお住まいの親愛なる皆さま、ネストコーポレーションの代表者、松岡龍咲(matsuoka ryusaku)と申します。

今までほぼ表へ出ることはありませんでしたが、この度は長年に渡るご愛顧への、尽きせぬ感謝も込めて、ご挨拶とさせていただきます。

恥ずかしながら今年、初撮りした写真も掲載させていただきます。ビジュアルは悪いですがお許しください。ネストコーポレーション社長の初公開です。

そして良く尋ねられる私の生い立ちを簡単にお伝えしたいと思います。

私の幼少期ですが、とても貧しい家庭に生まれ小さな頃から家を転々と引っ越し、いつもお腹を空かせ、問題を起こしては補導される、そんな日々を送っておりました。

小さな頃から両親と過ごす時間はほとんど無く、家でも外でも1人で過ごす事の多い子供でした。

父親の事業が失敗し、夜中に逃げるように住み慣れた町を出てたのを覚えています。持ち物は着ている服、ただそれだけでした。まわりが持っている当たり前のような物が何も無い、そんな生活を送っておりました。

雨漏りだらけの絵に描いたような、ほったて小屋に転がみ込み、そこで寒さや暑さをしのいでいたのをまるで先日かのように思い出します。

近代的な時代に、昔話に出てくるような小さなボロ屋に住み、薪でお風呂を沸かしていました。貧しさゆえに固定電話も新聞も取れなく、ポットン便所での暮らしでした。

電化製品は全て粗大ゴミをあさりに行っては修理して使用するのが小学生の頃からの習慣となっていました。

お金が無く修学旅行へも行けず、給食費も免除されたりと肩身の狭い幼少期を過ごしておりました。

特に給食費は後ろの席から順番に封筒を集められて集金されるのですが、自分の番になった時に封筒を渡せない、というか渡さなくて良い事になっていて、その瞬間はクラスの子たちも、えっ??なんで??みたいな空気になって、給食費さえ払えない辛く悲しい思いになった事を今でも時折り思いだします。

直接は言われなかったものの、ボンビー(貧乏のあだ名)と陰でいわれ、恥ずかしさと腹立ちで相手に危害を加え、二度と言わせぬよう子供ながら虚勢を張っていたのものです。

わたしは幼少期の頃から決して普通ではなく模範的な子供でもありませんでした。保育園や幼稚園、小学校でも数々の問題や事件を起こし、学区の方々からも厄介者として見られる事が多かった少年でした。あの子とは遊んではダメと言われる典型的な素行の悪い子供でした。学校に居られなくなり隣町の学校へ引越しせざるを得ない時期もありました。

大の字になって線路に立ちふさがり電車を止めたり、稲刈りして藁干した田んぼに火をつけて大火事を巻き起こしたり、道路に走る車に片っ端から石を投げつけて捕まったり、養殖場に忍び込んでカブトムシを盗っては友達にさばいたり、駐車場の車の上に乗って片っ端からバットで破壊していったり、校舎の窓ガラス壊してまわったりと、こうして思い出して書いていると情けなくなります。

ある小学校低学年の時に、農業高校に忍び込んで悪さをしていた時に、目出し帽を被って猟銃の様な物を持った先生と生徒たちに追いかけられたことがありました。今から考えれば子供に2度と悪さしないようにびっくりさせただけだと思うのですが、子供ながら許せなくて仕返しに行くことに。その高校の敷地内には沢山の牛舎があったのですが、そこで繋がれている牛たちを片っ端から離していきました。お察しの通り、牛たちは暴れて町中に逃げ出し、あちこちの国道へ走り回り大惨事になったのを思い出します。

小さな子供ながら寂しさと、飢えと、やるせなさが爆発し善悪のコントロールさえできなかったのを覚えています。

それは10代後半まで続き、無免許で単車を乗り回したり、地を這う様な車で沢山の方々や警察の方々にも多大にご迷惑をお掛けした人生となってしまいました。文面で記載できる内容はここまでですが、とにかくこのままの人生では人間として、男として正しい生き様ではないと考え直し、成人を迎えた時に変化したい、人に迷惑をかける人生ではなく利他的で、一生懸命さを尽くし、感謝の想いを忘れない男として成長していきたい、そう決意したのが転機となりました。

ちょうどその時期に今は亡き恩師と出会い、解体や足場、土木や基礎工事など、建設の土台となる知識や技術を叩き込んでいただきました。

その後、コンベックス岡山の会場で更生に至った経験を話してほしいと依頼があり、せん越ながらステージに立つ機会があったのですが、その時に参加されておられた中に、あるご夫婦との出会いがありました。それが弊社の専務のご両親でした。

ある意味、同じような道筋を歩んでいる息子と会ってやって欲しいとの事が始まりで、現在の専務と出会う事になりました。それから今に至るまで右腕として専務取締役として身体を張って共に会社を守ってくれております。

専務もその当時はまだ、正しい生き方が出来ている若者ではありませんでした。道を外れて人様に多々なご迷惑をおかけするような人生の繰り返しを送っていました。

2人が出会ってから血筋は繋がっていないものの兄弟関係の絆が生まれ、親や兄弟の居ない私にとって専務は血筋以上の存在となっていきました。

というのも色々あり両親は途中で家族を捨てる、解散するとの事で、バラバラになってしまいました。寂しくない?と聞かれる事もありますが、正直そんな想いはもうずっと昔に失っている、そんな感覚です。ですので全くと言い切れるほど寂しさはありません。一つのケジメの問題で、解散なら完全に解散で中途半端は無い、という事だけです。

とにかく、それから暫くして二人で経営を始めたわけですが、直ぐに内部の人間からの裏切りに遭ってしまい、その当時の主要取引先を失う流れとなってしまいました。大きな損害と損失を経験し、目の前が真っ暗な闇に包まれたあの恐怖は今でも忘れません。

経営が駄目になる恐怖ではなく、ついて来てくれているスタッフやその家族を路頭に迷わす事への恐怖です。

そんな矢先に息をつく暇もなく取引先から2300万の未払いがあり、その後に780万、続いて150万と到底、超える事が出来ない新たな恐怖と圧迫を抱え、毎日吐くような日々を過ごさなければなりませんでした。

誰にも言わず、専務や職人たちにも弱音は見せないように、とにかく毎日が闘いの連続となりました。

その当時、よく自分に言い聞かせたものです、お前はそんな弱い男だっか?昔の気合いや根性を思い出せ、立ち向かえ、正しいことを行なっていれば結果はどうであれ必ず道は開ける、根性入れて乗り越えろ!と。何度も何度も自分に言い聞かせました。

とにかく出来ること、出来ない事など関係なく、思いつく全てを書き出し、それを実践に移していきました。

まずは、見よう見まねでホームページを自作し、広告も名刺も全て自分で手作りし、日中は作業し夜な夜な自転車や徒歩で広告をポストインしていきました。

飛び込みであちらこちらに営業にまわり、本当に少しづつではありますがお仕事を頂く機会が増えていき、名前も知っていただけるようになりました。

軌道にのったと言える状態になるまで年数はかかりましたが、誰にも金銭面でご迷惑をおかけする事なく、何とか一つ一つの壁を乗り越える事が出来ました。

そうした時に特に意識したのは、自分が大変な窮地にある時こそ、他の人の為に何かの親切や愛情を示す機会を捉える、という事です。毎月ごとに目標を定めてボランティアに取り組んでいくことで少しでも利他的になれるように意識していきました。

しかし、安心出来るような日常を過ごす事は許されませんでした。その当時に拠点としていた土地の事で紛争があり800坪近くの敷地から急きょ、退去しなければならない事態に陥ってしまいました。ありとあらゆる圧力と死活問題となるこの窮地にも、もちろん立ち向かわなければなりませんでした。最終的には度重なる交渉が結末を迎え、納得の上で移転する流れまでの解決には至りました。

しかし直ぐに土地が見つかる訳もなく、必死に駆けずり回っている時に、大切な顧客様のお一人からご親切で土地の造成のお申し出があり、そちらへ移転する事に決定しました。契約も交わさせて頂き、すぐに電話番号も取得して建築の申請手続きをしている途中に、何と行政より開発許可が出来ないとの中止の指示がくだりました。移転期日までの期間ももう無い状況でこの開発中止は弊社にとって、またもや先が見えない事態となってしまいました。

法人が住所不定のまま彷徨う期間があるなど、聞いた事がありません。

なす術が見つからないまま、広面積の貸し倉庫を賃貸契約し、そこへ法人を移す決断をせざるを得ませんでした。

それから間も無く、今現在の岡山市南区藤田の土地に巡り合い購入する運びとなりました。そこで今から10年前になりますが今のネストコーポレーションの社屋が完成となりました。

リフォーム会社らしくない建物に仕上がりましたが、想い入れが半端ありませんので気に入っております。

皆さまもお察しの通り、その後も平坦な道のりが待っている訳もなく、裏切りによる4000万近くの損害を被る事態に陥るなど、生と死が隣り合わせにいるかのような経験もしなければなりませんでした。笑い話になるにはまだまだ時間がかかりますが、紆余曲折の人生は相変わらず続いております。

ここに書き記した事は私の生きてきた道の中でのほんの一例ですが、でもこうして人生を振り返ってみて、卑屈になった事はありません。悲劇のヒロインになるつもりはありません。世の中にはもっと辛く大変な状況で闘っておられる方々が沢山おられるからです。ですので後退りしようと考えた事もありませんし、他の人を羨ましく思った事もありません。ん?少しはあったのかな。笑

誰のことも腹は立って怒っても、憎しみを宿してはいません。もっと普通に生きたかったな、と思う事は正直ありますが目の前に困難な問題が立ちはだかれば、また闘うだけです。

決して綺麗ごとではなく良かったと思うのは、被害を被ったのが自分だったという事です。人様を裏切ったり、損害を与えたりはしていないという事が、何よりの自分の誇りです。誤解される事は多い人生ですが、あえて弁解はしません。時間と生き様がいつか物語ってくれると信じて生きております。

そしてどんな辛い経験を重ねてきたとしても、信念に基づいてこれたこと、長年お声がけくださるお客様が変わらずにずっと応援してくださっていること、新しく出逢ったお客様に励まされる日々や、付いてきてくれているスタッフや職人たちにより元気づけられている毎日に心から感謝できています。
そう考えると幸せだ、と言いたいです。

人はまいたものを必ず刈り取る。良いものをまけば良いものをいつか必ず刈り取る。

そう信じてきた通り、これからもその生き様を全うしたいと決意しております。

皆さまに愛し続けていただいて、ネストコーポレーションはわたし自身にとっても、大切な居場所となっております。

〜尽きせぬ感謝を込めて〜
株式会社ネストコーポレーション
代表取締役 松岡龍咲